他国と比べて低い日本の賃金 人材流出への懸念と対策

2023.12.15
リサーチ

執筆:雨宮百子
作図:上石尊弥

日本経済と労働市場は、急速に進行する少子高齢化とグローバル化の波に翻弄されています。特に、円安や労働市場の不確実性、解雇の難しさなどにより、賃金面での問題が顕在化しています。

労働人口の減少に限らず、国際的に見て給料が低水準であることなどから国内の人手不足が加速しており、国外に労働人材が流出する懸念もあります。この記事では、採用担当者が知っておきたい、世界と日本の賃金比較や、日本が直面している課題について解説します。

OECD最下位グループの賃金

2022年に経産省が発表した「未来人材ビジョン」という資料[1]で、日本企業の部長の年収がタイ企業の部長よりも低いことを示したスライドがSNSなどで拡散され、メディアが一斉に取り上げ、話題になりました[2]。
かつてタイに旅行に行き、マッサージやおいしい食事を安価で楽しんだ経験がある人は、タイの成長ぶりと賃金が上がった実態に驚いたようです。

図1 拡散された経済産業省のスライド「日本企業の部長の年収は、タイよりも低い。」(出所 経済産業省「未来人材ビジョン」より抜粋)

2022年の平均賃金は、OECD平均の53,416ドルに比べ日本は41,509ドルと大きく差が開き[3]、日本は38か国中25位と、OECD最下位グループに属します。日本より下位に属する国は、ポーランドやエストニア、ラトビアなどとなっています。

日本の賃金の水準は他の先進国に比べて低く、これが人手不足の一因となっているとも指摘されています。転職で賃金が増加した人は23%に留まり、中国や欧米と比べると低い割合でした[4]。低賃金は国内外の労働者の日本への就業意欲を減退させ、企業の人材獲得能力にも影響を与えています。

2023年12月4日号の米誌Timeの表紙を飾った、ファーストリテイリング代表取締役会長兼社長の柳井正氏は、記事の中でこの問題に言及しています。

柳井氏は、2023年3月に同社の国内従業員約8,400人の賃金を最大40%引き上げたものの「まだ低い」と言い、「北京や上海では、日本の同等職種の2倍、3倍の報酬を得ている。日本経済を正常化する必要がある」と述べています[5]。

記事では、日本の名目賃金(インフレ調整なし)は1990年から2019年にかけてわずか4%上昇しただけで、アメリカの145%とは対照的だ、とも指摘されています。

2020年から25%低下した日本円の価値

特に日本とアメリカの金利差を主な原因とする円安は、実質賃金を低下させました[6]。
英Financial Timesによれば、2020年以降、貿易加重ベースで日本円の価値は25%下落しています[7]。

NHKによると、2023年9月の働く人1人あたりの実質賃金は去年の同じ月と比べて2.4%減少し、18か月連続でマイナスとなりました。
基本給や残業代などをあわせた現金給与総額は21か月連続でプラスとなったものの、物価の上昇に追いつかず、実質賃金はマイナスの状況が続いています[8]。

賃金が物価の伸びに追いつかない状況が続く中、インフレ手当で従業員の生活を守ろうという企業も現れています。

愛知県豊川市のシンニチ工業株式会社は、去年12月物価の高騰から従業員の生活を守るため、パートタイムを含む57人全員に一律8万5000円のインフレ特別手当を支給しました[9]。

三菱自動車工業株式会社も同時期に、特別支援金として、1人あたり最大10万円を支給しました。管理職を除く社員のほか、定年後の再雇用社員、期間工、パートの非正規社員を含む約1万4000人が対象となりました。支給総額は約13億円に上っています[10]。

今後の企業の出方が注目されています。

人手不足にもかかわらず、海外に「出稼ぎに」いく日本人

こうした状況を踏まえ、日本国内で人手不足が深刻化するなか、「海外出稼ぎ」に出る若者も増えています[11]。

出稼ぎでは、主に18歳から30歳までの日本国民が海外渡航で利用できる「ワーキングホリデー」制度を利用し、カナダの日本食レストランのホールやオーストラリアの農園などで働くケースが多いようです[12]。

2022年10月の外務省の推計では、日本から海外に生活の拠点を移した永住者の累計が過去最高の約55万7,000人になりました。中でも6割が女性でした[13]。

最低賃金でさえ、日本は先進国の中では1,004円[14]と大きく見劣りしています。株式会社日本総合研究所(以下、日本総研)の「全国平均1000円超時代の最低賃金の在り方」によれば、フランス1,386円、ドイツ1,386円、英国1,131円となっており、欧州諸国はいずれも日本より高くなっています[15]。

2020年12月から23年5月までの日本の最低賃金の伸び率は名目6.5%増、物価変動を考慮した実質で0.7%増でした。名目、実質ともにOECD30ヶ国の平均の3分の1にも届きませんでした[16]。

「人手不足」をさらに悪化させないために

円安は日本人のみならず、日本で働く外国人にも影響します。

株式会社帝国データバンクが発表した、国内企業が注目する2024年のキーワードでは、「人手不足・人材確保」が3位でした[17]。

特に建設や介護、農業などの分野では人手不足が深刻です。この問題に対応するため、政府は外国人労働者の受け入れ拡大を進めてきましたが[18]、続く円安によっての不安も高まっています。

日本総研による2019年の調査では、企業の人手不足の状況について、8割弱の企業で若手・中堅層を中心に人手が足りず、3割がほぼ全年齢層で人手不足と回答しています。人手不足への対応として、企業は人材育成を中心としつつも、女性やシニアと同様に外国人の活用も重視しています。

外国人の採用・活用は大企業が中心ですが、留学生アルバイトなど専門的・技術的分野以外では、中小企業にも前向きな姿勢がみられます。採用の中心年齢は34歳以下の若手で、小売業、宿泊業、飲食業でその傾向が顕著です[19]。

「円安が続くようであれば海外で仕事をしたほうが良さそうだ」「ドイツからのオファーは年に1カ月の有給休暇もあり魅力が多い」と語る外国人もいます[20]。

国籍に限らず、現状に不満を抱いた社員は、より良い条件を求めて転職や国外への移動を選択しています。この人材の流出は、国内の労働市場における「人手不足」の問題をさらに悪化させる可能性があります。

企業だけではなく個人も求められる意識改革

岸田総理大臣は2023年11月、2024年の春闘に向けて、2023年を上回る水準の賃上げが実現するよう「政労使会議」で協力を要請しました[21]。
また、ガソリン代や電気・ガス料金への補助を「2024年の春まで継続」することや[22]、個人のリスキリング(学び直し)の支援に5年で1兆円を投じることも表明しています[23]。

図2 日本人は特にアジアを中心とした他国に比べ、自己学習をしていない人の数も際立った(出所 経済産業省「未来人材ビジョン」より抜粋)

リスキリングには企業も前向きです。例えば、富士通株式会社ではIT業界において長年の課題であるデジタル人材不足の解消に向けて、最先端のデジタル技術やノウハウの習得をオンラインで展開する「Global Strategic Partner Academy」を2021年から開始しています[24]。ダイキン工業株式会社は企業内に「ダイキン情報技術大学」を設置。対象の社員は、2年間通常業務を受け持たず、AI(人工知能)の基礎知識や活用法を勉強します[25]。

また、せっかくリスキリングをしても、実務で使えないともったいないとの問題意識から、株式会社リクルートマネジメントソリューションズでは業務の10%分だけ他部署の仕事に取り組める社内公募制度「キャリアプラス」をスタートさせました[26]。しかし、こうした取り組みがあっても、他国に比べれば企業の人への投資はまだまだ少ないと言わざるを得ません(図2参照)。

様々な対策がとられながらも、なかなか賃金があげられない要因には、労働市場の不確実性と解雇の難しさがあるかもしれません。
日本の労働市場は、他の多くの先進国と比べて、解雇が比較的困難であることが特徴です。この事情は、企業が不確実な経済状況の中で新たな雇用を創出すること、また既存労働者の賃金を上げることに対して消極的な姿勢を取る原因となっています。

日本の企業は、経済の変動や市場の不確実性に対して慎重な姿勢を取ることが多いです。これは、長期的な雇用安定性を重視してきた日本特有の雇用文化も起因しているでしょう。その結果、経済状況が良好であっても、企業は賃金の大幅な引き上げに踏み切ることが難しいという状況が生まれています。

また、前述した経産省の「未来人材ビジョン」によれば、「社外学習・自己啓発を行っていない人の割合」が日本は46%と他国に比べ突出しています。企業のみならず、個人の意識改革も必要なのかもしれません[27]。

これらの複合的な要因により、日本の企業は賃金上昇に向けた積極的な動きを見せにくい状況にあります。しかし、昨今日本経済が直面している課題を考えると、日本の労働市場は、国際競争力の強化や労働者の生活水準向上という観点から、賃金構造の改革や労働市場の柔軟化に向けた新たな取り組みが求められるでしょう。

参考文献・脚注
[1] 経済産業省, 2022年5月, 「未来人材ビジョン」
[2] 東洋経済オンライン, 村上 臣, 2023年4月29日, 日本の部長は「タイより年収が低い」の衝撃的事実
[3] OECD, 2023年11月29日閲覧,平均賃金 (Average wage)
[4] 経済産業省, 2022年5月,「未来人材ビジョン」P37  
[5] Time,2023年11月13日, The Founder of Uniqlo Has a Wake-Up Call for Japan
[6] 東洋経済オンライン, 唐鎌 大輔, 2023年8月10日,「円安と実質賃金下落」日銀が堪え忍ぶ2つの嵐
[7] Financial Times, 2023年11月14日,Japan’s elusive wage-price spiral
[8] NHK,2023年11月7日, 9月の実質賃金 去年同月比2.4%減少 18か月連続でマイナス
[9] TBS NEWS DIG,2023年11月15日,実質賃金18か月連続マイナス インフレ手当支給を検討する中小企業の本音【Bizスクエア】
[10] 読売新聞オンライン,2023年1月17日,春闘待たずに「インフレ手当」…三菱自は最大10万円・ケンミン食品「家族の人数」で一時金
[11] NHK みんなでプラス,2023年2月1日,日本人の若者が海外に出稼ぎへ 増加の裏側にある労働問題
[12] テレ朝news,2023年5月3日,「海外出稼ぎで給料2倍」成功談の裏で“未払い”過酷労働も 「若者の日本離れ」現実は
[13] 朝日新聞デジタル,堀内京子, 2023年1月23日,日本人、静かに進む海外流出 永住者が過去最高の55.7万人に
[14] 朝日新聞デジタル,竹山 栄太郎,2023年8月21日,最低賃金、2023年度は全国平均1004円に 初の1000円超、引き上げ額43円は過去最高
[15] 株式会社日本総合研究所, 客員研究員 山田 久, 2023年5月23日, 全国平均 1000 円超時代の最低賃金の在り方, P4
[16] 日本経済新聞,2023年7月11日,日本の最低賃金の伸び、OECD平均の3分の1未満
[17] 株式会社帝国データバンク,2023年11月16日,2024 年の注目キーワードに関するアンケート
[18] 日経ビジネス,2023年11月13日, 外国人労働者受け入れ 日本の魅力低下、見えてきた課題と新たな動き
[19] 株式会社日本総合研究所, 調査部 主任研究員 下田 裕介, 2019年11月28日,特集「外国人材の望ましい受け入れに向けて」P21
[20] 日本経済新聞,2022年11月4日,円安で外国人材流出も 愛知の院生「独は200万円高い」
[21] NHK,2023年11月15日,岸田首相 “ことしを上回る賃上げに協力を” 政労使会議
[22] TBS NEWS DIG,2023年10月23日,【速報】岸田総理 ガソリン・電気・ガス代補助「来年春まで継続」 所信表明演説で述べる
[23] 日本経済新聞,2022年10月3日,リスキリング支援「5年で1兆円」岸田首相が所信表明
[24] 富士通株式会社,2021年12月13日,グローバル規模のデジタル人材不足の解消に向けた人材育成プログラム「Global Strategic Partner Academy」を開始
[25] 日経クロステック, 渥美 友里, 2023年6月26日,通常業務を2年間免除、ダイキンは企業内大学で「Π型人材」を徹底育成
[26] BUSINESS INSIDER JAPAN, 奥野 康太郎, 2023年9月27日,政府頼み“リスキリング”の問題点。補助金をもらうだけでは企業のプラスにならない理由
[27] 経済産業省, 2022年5月,「未来人材ビジョン」P40

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