採用CX はどこから来たのか ――「体験」という言葉の歴史を追う
「良い候補者体験(採用CX)を作ろう」と言われたとき、多くの場合は「面接の合否連絡を早くする」「不合格理由を丁寧にする」「オファー内容をカスタムする」といった、改善の話になりがちです。
でも、体験という言葉の源流を辿ると、本来問おうとしていたのはもっと手前のことだったとわかります。
たとえば採用プロセスでは、面接は「自社に合うかどうかを判断する場」として設計されがちです。合否を決めるための時間として閉じてしまう。
でも「候補者体験をデザインする」という発想に立つと、面接の意味が変わります。面接を、候補者自身が気づいていなかった強みや思考の癖に出会う場として設計する。「選考には落ちたけれど、あの面接は自分にとって価値があった」と思ってもらえる体験を、企業が意図して作る。
目の前の穴を防ぐ「改善」ではなく、構造そのものを変える「デザイン」。この違いはどこから来たのでしょうか。言葉そのものの源流を辿ることで、思いがけない場所に行き着きました。
目次
1993年のApple ――「体験」が職名になった日
1993年、Appleの社内に誰も聞いたことのない肩書きを持つ人物が現れます。
「User Experience Architect(ユーザー体験設計士)」
この人物、Don Normanという認知科学者です。入社後の経緯を本人はこう語っています。
入社後しばらく社内を歩き回り、シニアエグゼクティブから現場の人たちまで幅広く話を聞いた。そこで気づいたのは、Appleが誇っていた「使いやすさ」への評判が、じわじわと失われているということだった[1]。
そこで彼は小さなチームを立ち上げます。チーム名を考える段階で、「ヒューマンインターフェース」でも「ユーザビリティ」でもなく、もっと広い言葉が必要だという話になりました。メニューやアイコンだけでなく、製品に関わるすべての体験を指す言葉が。こうして生まれたのが「User Experience Architect’s Office」です。
ただ、この言葉自体はAppleで生まれたわけではありません。1986年のBrenda Laurelの論文にすでに使われていた言葉が、Normanの記憶の中に残っていて蘇ったものでした。
1998年のハーバード、「体験」が経済の言葉になった
Normanがテクノロジーの世界で格闘していたころ、全く別の場所でも同じ問いを立てていた人たちがいました。Joe PineとJim Gilmoreという二人のビジネスコンサルタントです。
Pineによれば、概念が生まれたのは1993〜1994年のこと。IBMのコンサルタントを相手に講義していたとき、こんな問いを投げかけられたと言います。
「サービスをマス・カスタマイズしたら、それは何になるんですか?」。私はとっさにこう答えた。「体験(Experience)になる」。その瞬間、自分でも「これはいい」と思った[2]。
この気づきを1998年にハーバード・ビジネス・レビューに発表したのが『Welcome to the Experience Economy』です。論文はこんな例え話から始まります。
経済の歴史は、バースデーケーキの変化で説明できる。かつて母親は小麦粉や砂糖を買ってケーキを手作りしていた。それがミックス粉になり、ケーキを買うようになり、今はパーティーごとプランナーに頼む時代になった[3]。
PineとGilmoreは別の場所で、もうひとつの有名な例も挙げています。スターバックスのコーヒーです。コーヒー豆は1杯数円、焙煎して袋に詰めると数十円、カフェで提供すると数百円、スターバックスでは500円以上。違いは空間、音楽、バリスタとのやり取り。つまり体験です[2]。
Normanがプロダクト設計の文脈で言っていたことを、PineとGilmoreは経済学の文脈で言っていました。場所も違えば文脈も違うのに、立てていた問いは同じでした。
1999年のコロンビア大学、CXが学問になった日
翌1999年、同じ問いをマーケティングの側から体系化したのがコロンビア大学のBernd Schmittです。
従来のマーケティングが消費者を「機能とメリットを合理的に判断する存在」として扱ってきたのに対して、Schmittは「実際の消費者は感情的な存在でもあり、心地よい体験を求めている」と主張しました[4]。これが「Customer Experience(CX)」という概念の学術的な起点のひとつです。
2010年代、この思想が採用まで辿り着いた
UX → CXという流れは、2010年代に入り、企業の内側へ向かいます。
「従業員も、ある意味でユーザーだ」という発想からEmployee Experience(EX)が生まれ、その延長線上に候補者体験(採用CX)が生まれました。
構造はずっと同じです。作る側ではなく、受け取る側から考えたら何が見えるか。1986年も、1993年も、1998年も、1999年も、その問いから新しい言葉が生まれてきました。
体験設計は穴防ぎではなく、デザイン
Normanが「ユーザビリティでは足りない」と言ったとき、Schmittが「機能とメリットでは足りない」と言ったとき、彼らが向き合っていたのは「改善」ではなく「デザイン」の話でした。
改善は、すでにあるものをよくすること。デザインは、そもそも何のために、誰のために、何をつくるかを決めること。
候補者体験(採用CX)という言葉を使うとき、みなさんはどちらの問いを立てていますでしょうか。
参考文献
[1] Don Norman, “Where Did the Term ‘User Experience’ Come From?”, jnd.org, 2023
[2] Joe Pine, “The History of the Experience Economy”, strategichorizons.com, 2017
[3] B. Joseph Pine II and James H. Gilmore, “Welcome to the Experience Economy”, Harvard Business Review, July-August 1998, Vol.76, No.4, pp.97-105
– PubMed書誌情報
– 論文全文(PDF)
[4] Bernd Schmitt, “Experiential Marketing”, Journal of Marketing Management, 1999
執筆:秋山紘樹
編集:木下牧子