EVPとは何か
能力の高い人材は、会社を選ぶとき何を求めるのか

2024.09.02
採用関連用語

執筆:秋山紘樹
協力:雨宮百子
作図:上石尊弥

EVP(Employee Value Proposition)は、「従業員価値提案」と訳され、企業が従業員に提供する価値の総体を指します。
経営コンサルティング会社のマッキンゼー社が行った、マネジメント人材育成に関する調査をまとめた書籍『ウォー・フォー・タレント』[1]によれば、EVPは「社員がその企業にいる間に経験し、受け取る全てを総合したもの」と定義されています。これは単なる給与や福利厚生にとどまらず、キャリア成長の機会、職場環境、企業文化、仕事の意義など、幅広い要素を含む包括的な概念です。
EVPはこれらの要素を融合させたもので、その企業を構成するあらゆる側面を包含しています。それは指紋のように企業ごとに固有のものであり、効果的なEVPは、あらゆる人材に通用するものよりも、特定のタイプの人材を惹きつけるものであるべきだとされています。
さらに注目すべきは、EVPの対象を現在の従業員だけでなく、将来の従業員や潜在的な候補者にまで拡大することの重要性です。上記のことから、EVPについて、下記の3つを示すことができます。

・EVPとは、候補者や従業員の視点を抜きにして企業が一方的に魅力を定義づけるのではなく、「候補者/従業員がなにを魅力と捉えるか」を中心に据える概念
・価値の範囲は、金銭的な報酬に加え、職場で経験すること全て
・ターゲットの範囲は、現在の従業員だけでなく、将来の潜在的な従業員も含め幅広い

以上を踏まえ、本記事では、自社が欲しい人材を呼び寄せることのできる、より効果的なEVPを構築するための方法を解説します。

終身雇用がEVPだった時代

かつての日本企業では、終身雇用が従業員にとっての最大のEVPと見なされていました。企業は定年までの雇用保障を通じて、従業員の生涯を支えることで価値を提供していたからです。この時代の雇用慣行をEVPの観点から捉え直すと、終身雇用制度は企業と従業員双方にとっての相互のコミットメントとして機能していたと言えるでしょう。企業は長期的な雇用を保証し、従業員は企業への忠誠と継続的な貢献を約束するという関係性が成立していました。
また、この人事制度は、離職コストを抑える役割も果たしていました。定着率の向上は、採用や教育にかかる費用の削減、組織内での知識蓄積、チームワークの強化といった長期的な利益を企業にもたらします。さらに、従業員の安定したキャリアパスが保証されることで、労働者の士気と生産性が向上し、企業文化の発展に寄与するとも考えられていたのです。
しかし、グローバル化と市場環境の変化に伴い、このような日本的雇用慣行は次第に持続困難となり、企業はより柔軟かつ多様な働き方を提供する必要に迫られています。今日のEVPは、個々の従業員のニーズに応じてカスタマイズされた価値提案へと進化しています。その過程のなかで、企業が個人の求める従業員価値(Employee Value:EV)を提示できない場合、離職という選択をする人もでてきます。企業は離職率の管理という新たな課題にも対応していく必要があり、今日のEVPは複雑性を増しています。

従業員価値提案(EVP)を考える前に、従業員価値(EV)を捉える

EVPを作る上で初めにやるべきことは、自社のEVが何かを把握することです。採用に関わる方々が「多分こうだろう」「おそらくコレです」などの実態を把握しないままEVを特定することは危険です。
まずは、以下の二つのアプローチでEVの調査を行うことをおすすめします。

1. 直近入社した方へのインタビュー

最初に、直近入社した方へのインタビューを行いましょう。どのようなことに対して価値を感じ入社を決断したか、フレッシュな情報を得ることができます。これにより、現在の労働市場で自社がどのような魅力を持っているかを把握できます。

2. 自社に関心がない、または知らない方へのインタビュー

一方で、自社に対して関心がない方や、そもそも知らない方にもインタビューすることが重要です。なぜなら、これらの方々の視点は、自社のEVPが外部からどのように見えているか、また潜在的な改善点は何かを明らかにする貴重な情報源となるからです。さらに、業界全体に対する認識や、理想の職場環境についての意見を聞くことで、より広い視野でEVPを構築する助けとなります。

このように、内部と外部の両方の視点を取り入れることで、実際の従業員や候補者の認識と、企業側の想定との間に存在するギャップを明確に把握することができます。このギャップを無視してEVPを構築してしまうと、魅力的で効果的なEVPを作成することができず、結果として優秀な人材の獲得や定着に失敗する可能性が高まります。
最終的には「なぜ能力の高い人がここで働くことを選ぶのか」という問いに答えることができるようになることが、EVP構築の肝となります。この問いに対する回答は、単なる推測や希望的観測ではなく、実際のデータや洞察に基づいたものでなければなりません。
とはいえ、調査をするにしてもゼロベースで行うのは時間がかかります。ここでは、参考として、組織・人材マネジメントを支援する世界的コンサルティングファームであるマーサー社がまとめているEVPの要素を紹介しましょう[2]。マーサー社はEVPの要素を「業績に対する報酬、評価報酬制度全般、福利厚生、キャリア開発、健康支援、帰属意識、有意義な仕事」の7つに分類しています。
一方、人材管理ツール「TalentLyft」を提供するアダブトテック社は、EVPを「報酬、手当、キャリア、職場環境、文化」の5つの要素に集約しています[3]。各社の分類には共通点が多いものの、要素の切り分け方に独自の視点が反映されています。EVPの概念は、このようにまだ発展途上なのです。
以下、より簡潔なアダプトテック社の5要素に沿って解説を進めていきます。これらの既存フレームワークを活用することで、効率的な調査が可能となり、より実用的なEVPの構築につながるでしょう。

図1 EVPの要素

EVPのアンチパターンと対処法

EVPを適切に企業の中で構築するのは簡単ではなく、機能しない場合も数多くあります。まずは、EVPが機能しない特徴的なパターンをみていきましょう。
マッキンゼー社のシニアパートナーであるスコット・ケラー氏の記事[4]によれば、効果的ではないEVPには以下の3つの特徴があります。

・ありきたりである:他社と似たような一般的なEVPではなく、一つの側面で際立つことが重要
・ターゲットが絞られていない:全体的なEVPも大切ですが、重要な役割に特化したEVPも必要
・現実味がない:SNSの発達により、求職者は簡単に企業の実態を調べられるようになった。EVPは現実に即したものでなければならない

これらを避けるためには、先ほど紹介したアダプトテック社のEVP要素を参考に、以下のアプローチを取ることをお勧めします。

・すべての要素(報酬、手当、キャリア、職場環境、文化)で「標準以下」にならないようにする
・一つの要素で圧倒的な価値を、もう一つの要素で差別化を図る
・残りの要素は業界標準に合わせる

下記の例をもとに、具体的に考えてみましょう。

【技術系スタートアップ企業A(埋没型)】
A社は、全ての要素で業界を席巻しようとリソースを分散させた結果、どの要素も中途半端となり、結果的に業界標準レベルになってしまいました。報酬、手当、キャリア、職場環境、文化のすべてが平均的で、特に際立つ点がありません。結果として、優秀な人材を惹きつけることができず、人材獲得に苦戦しています。
【老舗製造業B社(機能不全型)】
B社は、時代の変化に対応できず、ほとんどの要素が業界標準以下になっています。特にキャリア開発の機会が乏しく、文化も古い体質のままです。その結果、若手人材の採用が困難で、既存社員の離職率も高くなっています。この場合、例えば「職人技術の継承」という優れた文化で差別化を図れているとしても、報酬や職場環境が業界標準以下であることが足を引っ張り、全体的な魅力が低下してしまいます。
【IT企業C社(卓越型)】
C社は、「職場環境」で圧倒的な価値を提供し、「文化」で差別化を図り、優秀な人材を惹きつけることに成功しています。同時に、他の要素も標準以上を維持することで、総合的な魅力を保っています。

・職場環境:働く場所を自由に選択可能(オフィス、自宅、コワーキングスペース等)、技術研鑽のための学会参加費用全額支援、週1日の自由研究時間の付与
・文化:「従業員満足なくして顧客満足なし」の理念のもと、従業員のアイデアを積極的に採用する制度や、失敗を許容し学習の機会とする風土の醸成
・その他(報酬、手当、キャリア):業界標準レベルを維持

このアプローチにより、C社は特定の側面で際立ちつつ、ターゲットを絞った現実的なEVPを提供し、マッキンゼー社のケラー氏が指摘する3つの問題点(ありきたりである、ターゲットが絞られていない、現実味がない)を効果的に回避しています。

自社の要素が標準以下か以上かを調べるためには、主にインタビューを利用します。大切なのは、数多くのインタビューをこなし、正確性を求めるのではなく、自社の立ち位置を認識することを心に留めておくことです。

まずは自社の「特徴」を正確に理解しよう

EVPは、企業が従業員に提供する価値を明確に示す重要なツールです。しかし、効果的なEVPを構築するには、自社の特徴を正確に把握し、ターゲットを絞り、現実に即した提案を行うことが不可欠です。変化する労働市場において、魅力的なEVPは優秀な人材の獲得と定着に大きく貢献するでしょう。
最終的には、従業員一人ひとりが「この企業で働き続けたい」と感じられるようなEVPを構築することが、企業の持続的な成長と成功につながるのです。

参考文献
[1] エド・マイケルズ, ヘレン・ハンドフィールド・ジョーンズ, ベス・アクセルロッド, マッキンゼー・アンド・カンパニー(監訳), 渡会圭子 (翻訳), 2002年5月17日, ウォー・フォー・タレント “マッキンゼー式”人材獲得・育成競争, 翔泳社
[2] Mercer LLC, 2018年10月8日, Preparing for the future of work: evaluating the effectiveness of your employee value proposition
[3] AdoptoTech Ltd., Anja Zojceska, 2018年2月27日, Employee Value Proposition: Magnet for Attracting Candidates
[4] McKinsey & Company, Inc., Scott Keller, 2017年11月24日, Attracting and retaining the right talent

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